イチロー選手が引退したことをきっかけに、ノムさんこと野村克也の書籍「野村のイチロー論」を改めて読み返しました。
誰もが手放しで称賛するレベルに達したイチロー選手に対してもノムさん節は止まりません。今後も抜かれることがないであろう、数々の安打記録を残したイチロー選手に対する恨み妬みが少なからずあるにせよ、妙に納得感のあるイチロー論が展開されています。
「野村のイチロー論」、第1章から第5章までは読み飛ばしてOK
第1章から第5章は次の通りです。
第1章「イチローは本当に天才なのか」
第2章「イチローと凡人野村」
第3章「イチローがメジャーに与えた衝撃」
第4章「イチローの「言葉」を読み解く」
第5章「イチローは王・長嶋を超えたのか?」
ここまでの内容は、端的に言えば、イチローの凄さを褒めるような、当たり障りのない内容になっています。ノムさん曰く「イチローは天才である」ということを、論理的に丁寧に解説されています。
「野村のイチロー論」の真骨頂は第6章
この本の真骨頂は、第6章です。
第6章「イチローは変わったか」
この章では、これまであまり語られてこなかったイチローの負の側面がこれでもかと指摘されています。今や伝説となったイチローへの批判は、何となくタブーになりつつあるなかで、こうしたことを説得力を持って語れるのは、ノムさんがノムさんたる所以でしょう。
読んでみると「なるほど!」と思わせる分析が多岐に亘ります。その一例を紹介します。
どうして「イチローを見習え」と言えないのか。「勝負とかけ離れたところでプレーしていた。」それが理由だ。
イチローはなによりも自分がヒットを打つことを優先することが多かった。そうした彼の姿勢は、「野球は個人競技である」と思っているかのようだった。
報道陣に対するイチローの態度は、オリックス時代から決してよいとは言えなかった。お世辞にもほめられたものではなかった。
そんなことはノムさんの思い過ごしだろう?と思われる方も多いでしょう。
ただ、上記のような分析の根拠となる、プレーや発言や事件が必要十分に示されていますので、妙な納得感があります。
2019年3月、イチローの選手生活に終止符を打たれたことで、今後、ますますイチローの負の側面がフィーチャーされる機会は少なくなるでしょう。そういうなかで、ノムさん節が炸裂する「野村のイチロー論」は価値のある一冊になっています。
まだ読んだことがないという方、イチローに対してノムさんと同じような考えを抱いていたという方、一度手に取ってみてはいかがでしょうか。